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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)9278号 判決 1964年4月30日

原告 高橋園子

被告 社会保険診療報酬支払基金 外一名

主文

一、原告に対し、被告社会保険診療報酬支払基金は金九七万八一五六円、被告東京都国民健康保険団体連合会は金一〇万一六七四円及びそれぞれ右各金員に対する昭和三七年一一月二二日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、訴訟費用中原告と被告らとの間に生じた費用は被告らの各負担とし、参加によつて生じた費用は補助参加人の負担とする。

三、この判決は、第一項に限り、被告社会保険診療報酬支払基金に対し金三〇万円、被告東京都国民健康保険団体連合会に対し金三万円の各担保を供するときは、かりに執行することができる。

事実

第一申立

一、原告

主文第一、二項同旨の判決及び仮執行の宣言

二、被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二主張

(請求の原因)

一、1、被告社会保険診療報酬支払基金(以下、「基金」と略称する)は、政府若しくは健康保険組合、市町村若しくは国民健康保険組合又は法律で組織された共済組合(以下「保険者」という)が健康保険法、日雇労働者保険法、船員保険法、国民健康保険法又は共済組合に関する法律の規定に基いてなす療養の給付及びこれに相当する給付の費用について、療養の給付を担当する者(以下「診療担当者」という)に対し支払うべき費用(以下「診療報酬」という)の迅速適正な支払をなし、あわせて、診療担当者より提出された診療報酬請求書の審査を行うことを目的とする法人である。

2、被告東京都国民健康保険連合会(以下「連合会」と略称する)は、国民健康保険法に基いてなす療養の給付及びこれに相当する給付の費用について前記同様の支払及び審査を行なうことを目的とする法人である。

二、原告は、訴外医師金沢旻に対し、同人との間の東京法務局所属公証人岩城重男作成の昭和三四年第二七〇号債務弁済契約公正証書表示の金二〇〇万円の債権(貸借年月日昭和三四年一月六日・弁済期限同年二月六日・期限後損害金の割合金一〇〇円につき日歩金八銭二厘の約定)を有する。

三、原告は、昭和三七年七月九日、東京地方裁判所に対し右公正証書の執行力ある正本に基き、金沢旻が診療担当者として第三債務者たる被告「基金」に対して有する昭和三七年五月一日より同年六月三〇日までの診療報酬合計金一〇二万一八四二円の債権につき差押並びに転付命令を申請し(同庁昭和三七年(ル)第一七二六号)、右申請に基き発せられた債権差押並びに転付命令は同月一二日右被告に送達された。

四、また原告は、昭和三六年二月一〇日、東京地方裁判所に対し前記公正証書の執行力ある正本に基き金沢旻が診療担当者として第三債務者たる被告「連合会」に対し有する昭和三五年一二月一日から同三六年一月三一日までの診療報酬合計金一〇万一六七四円の債権につき差押並びに転付命令を申請し(同庁昭和三六年(ル)第三〇二号)、右申請に基き発せられた債権差押並びに転付命令は同月一四日右被告に送達された。

五、原告に対し被告「基金」は金九七万八一五六円(前記診療報酬金額から源泉徴収税額を控除した金額)被告「連合会」は金一〇万一六七四円及びそれぞれ右各金員に対する遅延損害金の支払義務がある。よつて、原告は、被告らに対し、それぞれ右各金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和三七年一一月二二日より支払ずみに至るまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告「基金」、同「連合会」の各抗弁に対する答弁)

各抗弁第一項の事実は認める。同第二項の主張及び第三項の事実は否認する。被告らが主張する「将来の診療報酬」の譲渡は債権譲渡としての効力がない。すなわち、診療報酬は、診療担当者が被保険者に対して現実に療養の給付をした都度発生すべき債権であるから、給料債権等と異り、予め、将来に亘つてこれを譲渡しても、債権譲渡としての効力を発生するものではない。

(被告「基金」、同「連合会」の各予備的抗弁(第一)に対する答弁)

各抗弁事実は否認する。

(被告「基金」の予備的抗弁第二に対する答弁)

右抗弁事実は否認する。かりに、訴外中央医療信用組合が、被告「基金」主張のとおり債権の準占有者であるとしても、右被告は、東京地方裁判所民事第二一部において、従来、被告らが主張するような「将来の診療報酬」に対する債権差押を許していたのを最近に至り許さなくなつたことを知つていたのであるから、悪意の弁済者というべきであり、そうでないとしても、同被告には弁済につき過失があるから民法第四七八条の弁済の効力を主張できない。

(被告「基金」の答弁)

一、請求原因第一項の1の事実は認める。

二、同第二項の事実は不知。

三、同第三項の事実中原告主張の被転付債権が債権差押並びに転付命令当時存在していたとの点を除いてその余の事実は認める。

(右被告の抗弁第一)

一、医師金沢旻は、昭和三六年一二月、訴外中央医療信用組合に対し、同人が被告「基金」より将来支払を受くべき同年一二月分より翌三七年一一月分までの診療報酬を譲渡し、同月一一日付内容証明郵便をもつて、被告「基金」に対しその旨通知した。

二、診療報酬は、診療担当者が、各都道府県を単位として置かれる被告「基金」の支部に対し毎月一〇日までに前月分の診療報酬請求書を一括して提出すると、右支部が右請求書を審査し、診療担当者に対する支払額を算定し、保険者との契約に基き保険者に対し、遅くも療養の給付を担当した翌々月の五日までに右支払額を請求し、その月の二〇日までに支払を受けた後、診療担当者に対し、遅くもその月の末日までに、予め指定された銀行を経由して支払われることになつている。ところで、診療報酬は、給料のように毎月一定額支払われるものではないが、保険医が安定した状態で業務を継続する限り、毎月、ほぼ一定の額の支払を受けられる確実な収入である。

そこで、保険医に対し金融をなすものは、物的担保をとる場合は格別、そうでない場合は、担保として、予め保険医が将来診療担当者として被告「基金」から支払を受くべき診療報酬の譲渡を受けるのが通例であるが、かように、将来発生すべきことが確定している診療報酬の譲渡は、将来の債権の譲渡として有効である。

三、よつて、原告主張の債権差押並びに転付命令は、当時、すでに被転付債権が存在していなかつたからその効力がない。

(右被告の予備的抗弁第一)

かりに、金沢旻が前記組合に対し譲渡した診療報酬が将来の債権に当らないとしても、右譲渡行為は、将来、診療報酬が発生することを停止条件とする債権譲渡であるところ、その後、右診療報酬の発生によつて条件が成就し債権譲渡の効果の発生をみるにいたり、なお、被告「基金」は、原告主張の被転付債権に当る診療報酬を含め、毎月支払額確定の都度前記組合に対し診療報酬を支払つたのであるから、原告主張の債権差押並びに被転付命令はその効力がない。

(同第二)

かりに、前記主張が認められないとしても、被告「基金」の前記組合に対する前記診療報酬の支払は、債権の準占有者に対する善意無過失の弁済であるから、右被告は、原告主張の被転付債権につき支払義務がない。

すなわち、

(一)  医師金沢旻の右組合に対する債権譲渡は何等疑義をさしはさむ余地がないものである。

(二)  裁判所の取扱は、一般に「将来の診療報酬」につき債権差押を認めているのであるから、「将来の診療報酬」の譲渡が債権譲渡として有効であると解するのは一般の法律常識である。

(三)  なお、信用組合、銀行等から金融を受ける保険医が、信用組合、銀行等に対し「将来の診療報酬」を譲渡し、その旨、被告、「基金」に対し通知する例は多数に及ぶ。

(四)  税務署でさえも、「将来の診療報酬」の譲渡が有効であることを認め、譲渡の事実を知らずになした差押を後日解放する。

かような次第であるから、前記組合は、原告主張の被転付債権に当る診療報酬を含む抗弁第一項記載の債権の準占有者であるというべきところ、被告「基金」が「将来の診療報酬」の譲渡の有効性を信じ、右組合に弁済をしたことは当然であつて、何等の過失がない。

(被告連合会の答弁)

一、請求原因第一項の2の事実は認める。

二、同第二項の事実は不知。

三、同第四項の事実中被告「連合会」が第三債務者であるとの点及び原告主張の被転付債権が債権差押並びに転付命令当時存在していたとの点を除いてその余の事実は認める。診療報酬債権の債務者は、保険者であつて、連合会は単に保険者から支払事務の委託を受けているにすぎないものであるから、診療報酬債権に対する強制執行の第三債務者に該当しない。したがつて、被告「連合会」に対する取立訴訟は失当である。

(右被告の抗弁)

一、医師金沢旻は、昭和三五年一二月、訴外中央医療信用組合に対し、同人が被告「連合会」より将来支払を受くべき同年一〇月分より同三六年一一月分までの診療報酬を譲渡し、同月九日付内容証明郵便をもつて被告「連合会」に対しその旨通知した。

二、右診療報酬の譲渡は、将来の債権の譲渡として有効である。

三、よつて、原告主張の債権差押並びに転付命令は、当時、右譲渡によつて被転付債権が存在していなかつたからその効力がない。

(右被告の予備的抗弁)

一、かりに、金沢旻が前記組合に対し譲渡した診療報酬が将来の債権に当らないとしても、右譲渡行為は、将来、診療報酬が発生することを停止条件とする債権譲渡であるところ、右診療報酬のうち原告主張の被転付債権に当る昭和三五年一二月分の診療報酬は同月三一日、翌三六年一月分の診療報酬は同月三一日それぞれ発生し条件が成就し、債権譲渡の効果の発生をみるにいたつた。

二、原告主張の債権差押並びに転付命令はその後、被告「連合会」に対し、送達されたものであるからその効力がない。

第三立証<省略>

理由

一、原告と被告「基金」の関係において請求原因第一項の1の事実及び同第三項の事実中原告主張の被転付債権が原告主張の債権差押並びに転付命令当時存在していたとの点を除いてその余の事実は、右当事者間に争いがなく、原告と被告「連合会」の関係において請求原因第一項の2の事実及び同第三項の事実中右の点と被告「連合会」が診療報酬債権に対する強制執行の第三債務者であるとの点を除いてその余の事実は、右当事者間に争いがなく、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証によれば、請求原因第二項の事実を認めることができ、反対の証拠は何もない。そして、請求原因第一項の2の事実によれば、被告「連合会」は、保険者団体から委託されて診療報酬の支払事務を一元的に担当するものであることが明らかであるから、同被告を診療報酬債権に対する強制執行手続における第三債務者とするべきであつて、この点に関する右被告の主張は失当である。

二、そこで、被告らの各抗弁について判断するに、各抗弁第一項の事実は、それぞれの当事者間に争いがなく、被告ら各主張のように「将来の診療報酬」につき転付を可能とした実例がないでもないが、診療報酬は、診療担当者が被保険者に対し療養の給付を担当し、右場合にその対価として支払われる費用であるところ、現行の医療保険制度では、診療担当者と被保険者との間に診療報酬発生の基礎となる継続的な法律関係の存在を認めがたく、被保険者は、任意に選択した診療担当者から療養の給付を受けることができることになつているのであるから、診療報酬は、診療担当者が被保険者の受給の申出により療養の給付を担当した場合に、はじめてその対価として客観的に確定し、その後、所定の手続を経て被告らから支払われることとなるがその以前においては、相当程度確実に期待することができる利益であるということができても、これを予め容観的に確定することが可能な将来の債権であるとすることはできない。したがつて、訴外医師金沢旻が訴外中央医療信用組合に対し被告ら各主張の「将来の診療報酬」を譲渡したとしても、何等、債権譲渡の効力を有するものということはできず、右譲渡によつて、原告主張の被転付債権が消滅したという被告らの各抗弁は理由がない。

三、つぎに、被告らの各予備的抗弁(第一)について判断するに、被告らは、かりに、医師金沢旻が前記組合に対し譲渡した診療報酬が将来の債権に当らないとしても、同人の譲渡行為は、将来、診療報酬が発生することを停止条件とする債権譲渡であると主張するが、被告らがそれぞれ条件として主張する事実は、いずれも所謂法定条件であるから、被告らが主張する「将来の診療報酬」が将来の債権と認められないこと前認定のとおりである以上、右予備的抗弁も失当であるといわねばならない。

四、被告「基金」の予備的抗弁第二について判断するに、右被告は、前記組合に対する弁済は、債権の準占有者に対する善意無過失の弁済であると主張するが、医師金沢旻が右組合に対し右「将来の診療報酬」を譲渡したからといつて被告「基金」主張の「将来の診療報酬」が将来の債権と認められないこと前認定のとおりであるから同被告において債権譲渡があつたものと判断したことに過失がないとはいうことができず、しかも、主張によれば、同被告は、原告主張の債権差押並びに転付命令送達後、右組合に対し弁済をしたというのであるから、被告の弁済をもつて債権の準占有者に対する善意無過失の弁済と認めることはできない。そして仮令、被告が挙示する実例があるとしても、右のとおりの事情のもとでは右認定を左右することはできないから右予備的抗弁も失当といわねばならない。

五、以上によれば、原告に対し、被告「基金」は金九七万八一五六円(請求原因第三項記載の診療報酬金額から源泉徴収税額を控除した金額)、被告「連合会」は金一〇万一六七四円及びそれぞれ右各金員に対する遅延損害金の支払義務があるから、原告が被告らに対し、それぞれ右各金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三七年一一月二二日より支払ずみに至るまでの民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九三条第一項本文仮執行の宣言について同法第一九六条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高瀬秀雄)

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